2010年3月28日日曜日

ソフトバンクオープンデイ、僕はなぜ当選したのだろう?

今日、ソフトバンクオープンデイに行ってきました。

孫社長自身による基地局倍増の約束USTREAMスタジオのスタート、そしてアンドロイド携帯の発表などで飽きることのないステージ。社員食堂の食事やそこからの眺めも体験できたし、イベントスタッフとして参加していたソフトバンク社員の方が好印象で満足度大の午後を過ごしました。

さて、このイベント。申し込みにはツイッターアカウントが必要で、抽選倍率は10倍の難関だったそうです。僕はなぜ当選したのでしょうか?

単に「運が良かった」のかもしれないですが、もしかすると「フォロワーの数」や「ツイートの数」が一定の値を超えていたからなのかもしれません。

イベント主催者は当然「イベントの効果を最大化」したいと考えるはずで、ならばこのイベントについて…

  • 積極的に発言し、かつ
  • それを多くの人に届けられる人

を選ぶのではないか、と。

露骨に効果最大化を狙うと反発も出そうなので「昨日ツイッターはじめたばかりです」なんて人も混ぜた「当選者ポートフォリオ」をつくるかもしれません。

ホントのところはどうなんでしょう?

ま、当選者選定プロセスは僕の推測に過ぎませんが、ソーシャルメディア上でアクティブに活動しているとイイコトあるかも、と僕が思ったことは確か。

東洋経済(3月27日号)によると、グーグルジャパンは人材を採用する際、Facebookやツイッターを活用しているそうだし、佐々木俊尚氏の「ネットがあれば履歴書はいらない」によるとIT企業の多くでは採用の際にエゴサーチが行われているらしい。

ここで「んじゃ俺もブログ頑張って続けなくては」と一瞬思いましたが、「実利を求めてブログを書いてもきっとダメなんだろうな」とも思います。「書くのが楽しいから続ける」という心境にならないと共感は得られないですよね。

僕は長文を書くのは苦手なんですが、意見を表明するのは好きで書籍紹介のポッドキャストをずっと続けています。なので「楽しいから続ける性向」は備わっている方だと思います。
「ポッドキャストに注いできたエネルギーを文章でも発揮する」ことを目標に、本ブログの執筆を続けていこうと思った、日曜の夜です。

ふー、でも文章って「書いては消し」が多く、時間がかかるな。

2010年3月27日土曜日

日経新聞を、マネすることは出来ないのか?

日経電子版の購読をはじめました。

月額4000円。世の中では「高すぎる。信じられない」との声が多数派。消費側がモノ・サービスを「より安く」買いたいと思うのはトーゼンだけど、供給側が「より高く」売ろうとするのもまたトーゼン。市場経済とはそういうものです。

「日経電子版の価格戦略がオカシイ」のならば、「経済・企業情報提供」市場に他社がより低価格で参入してくるはず。もしこの市場に誰も参入してこないのであれば、それは日経のサービスが他社が容易にマネを出来ないほど「難易度が高い」ということになります。
というわけで僕は「日経のサービスがどれほど難易度が高いのか?」が気になるわけです。

新聞という「情報提供サービス」の肝は…

  1. それぞれの記事を書く
  2. 記事に重み付けして紙面レイアウトで表現する

ことだと思いますが、これって他紙も毎日やっていることですよね。
「情報提供」が「経済・企業情報提供」になると、その難易度はどの程度変化するのでしょうか?

朝読毎産に入社することの出来るくらい頭の良い人たちなら、経済・企業情報の取材だって(ちょっと経験を積めば)できてしまうような気がします。

朝読毎産の記者には「社会正義実現のために記者になったのだ!企業取材なんかイヤ」という人も多そうなので、ネックはその辺なのかなあ?

だとしたら東洋経済とかダイヤモンドの記者をスカウトしてくるとか。
あるいは東洋経済やダイヤモンドが「日刊 」市場に参入するとか。

うーーーん。

磯崎さんの記事によると「「日経新聞という情報」に対する購読者のニーズが減少したわけではない」ようです。朝読毎産、座して死を待つより「日経のマネ」試してみればよいのにと思ってしまいました。

2010年3月25日木曜日

きのこの山 日中比較

同僚が北京旅行から帰ってきました。
お土産に買ってきたのはチョコレート菓子で、日本の「きのこの山」にそっくりです。
(箱のサイズはずいぶん大きめですが)


ただ、もう少し詳しくみてみるとその「つくり」はずいぶん異なっています。
日本版はチョコが傘型になるようクッキーにのっていますが、中国版はチョコがかなり一方向に傾いています。
こんな「雑なつくり」の中国版をみると、製造業における日中間の差はまだまだ大きいと思っていまいます。きのこの山は特異な例に過ぎないのか?それ とも典型的な例なのか?
興味のわくところです。

▼上:日本、下:中国

「第二の野球」に出会ったら

もし、この世界に野球がなかったら。 その世界に生まれた人は野球というゲームを考えつくだろうか? No、なんじゃないかな。 ボクシングとかサッカーは、それがない世界に生まれても、考えつく可能性は高いと思う。「殴り合う」とか「ボールを蹴ってゴールに入れる」というのは直感的だから。けど...